光市母子殺害事件から日本の刑法を考える

今まではぼんやりテレビでこのニュースを見ていたんですが、

最近高裁で死刑判決が出てからふと思ったことが出てきたのでちょっと書いていきます。

事件が取りざたされた当初は18歳を過ぎてから30日という期間での犯行であったため、

ある程度その年齢が考慮されるのかということが注目されていました。

しかし、最近はその辺はあまり論点ではなくなってきた感じですね。

それよりも少年の反省度合いが見られていると。

反省しているかどうかという点が裁判の行方を左右するということは

加害者が更生する可能性があるかどうかが問題になるということでしょう。

つまり刑罰は犯罪者を更生するためにあるのだと。

いわゆる特別予防論というやつです。

ただ刑罰はそれだけのためにあるんじゃなくて、

刑罰をあらかじめ示しておくことによってその抑止効果を狙う一般予防論、

それから、被害者側の感情を汲み取って加害者に仕返しという形で刑罰を科す応報刑論

っていう刑罰に対する考え方があります。

何が正解ではなくてそれぞれすべての要素が刑罰には含まれていると見るのがおそらく正しいんでしょうが、

当事者としてはそんなことはないでしょう。

本村さんの立場からすれば当然応報刑論的な考え方で加害者の少年には死んでほしいと思うでしょうし、

ニュースを見て本村さんの気持ちに共感する人は死ぬべきだと考えるでしょう。

ただ、今回に弁護側の動き方として特徴的だったのは、

反省だなんだより傷害致死を主張することによってなんとか死刑を免れさせたいということでしょう。

そのときぱっと死刑廃止論について考えたんですけど、

死刑制度が現代に残っている意味っていうのは、

正直なところもうちょっと重い犯罪をしたときに科されるべきなんじゃないかなって気がするんですよね。

政治犯罪とか集団犯罪とか。

人を殺めてしまったということならば無期懲役でいいのではないかと。

(その場合仮釈放はないという前提で)

一生牢獄にいるっていうのは言ってみれば社会的に抹殺されたものと同じだと思うわけですよ。

もうシャバの世界としてはその犯罪者は存在しないんだからそれで応報としては満足してもらう。

犯罪者が死刑になったところで亡くなった被害者の方は帰ってきませんし・・・

で、犯罪者には囚人として死ぬほど働いてもらうと。

どうせ死刑になるくらいの犯罪をしたんだから。かなりこき使ったっていいでしょう。

まあ死ぬほど働いてもらうかどうかはどうでもいいんですけど、

死刑っていうのはもっと限定的に適用されるべきなんじゃないかなと思うんですよね。

今の法務大臣は馬鹿みたいに死刑執行するわけですし。

ただちょっとデリケートな問題なんで、当事者の方からすると何言ってんだって思われると思うんですけど。

まあぱっと考えたことなんですいません。