これだけ時間もたってますので
今さら大変だったねぇとか
東電どうなってるんだとか
政府も早く動けとかを書くつもりはありません。
エネルギー政策の観点から。
福島第一原発建設時、
1960年代の話になりますが
日本は高度経済成長の真っ只中
今の中国・インドと同じような状況でしょうか。
産業化が進む中、
電力需要の増加
火力発電所の燃料価格の上昇を受け
原子力発電への期待が高まり
建設へと乗り出す。
当時、福島第一原発の付近の住民への説明の際
実は原発の安全性についての住民の反発はあまりなかったそうです。
安全性うんぬんよりも
補償の問題、
要するにいくらくれるのかと。
その問題が大きかった。
地元民の意識としては
日本のエネルギー政策の一環として
原子力発電というのはごく自然なものとして受け入れられ
その方向性を信じて疑わなかった。
その辺の意識って
太平洋戦争のときの感覚に近いものがあるんじゃないかと。
みんな日本は戦争に勝てる。
日本はこの方向性でいいんだ。
こうやって世界の覇権を握るんだって
みんな思ってた。
でも最後は結局間違ってた。
太平洋戦争の前までは
仕方なかったとしても最後は
あぁ間違ってたんだって気づく。
(いろいろ意見はあるんでしょうが)
今回の原発の事故で同じような思いが出てくるんじゃないか。
なんか自分たちが信じてたことって間違ってたんだなって。
単純に原発は安全だって言ったじゃないかって不満が
あまりでてこないのは
そういう背景があるからなんじゃないかなと思ったわけです。
今後、どういう方向性が示されるのかはわからないけど
そういう意味では
原発が間違ってたねっていうことと
いややり方さえ間違えなければ原発はいいものなんだ
っていうこと
どっちに転ぶかで日本の未来も実は大きく変わってくるのかもしれません。